椿姫なぜ椿なのか?マリー・デュプレシの人生

オペラ「椿姫」を観ていると、多くの花がある中、なぜ「椿の花」なのか気になりませんか?

それは、原作のモデルになった人物「マリー・デュプレシ」が愛した花が「椿の花」だったからです。

マリーは娼婦として劇場に通っていました。劇場に行くのは、娼婦の営業のためという面があります。「白い椿」(月のうち25日)と「赤い椿」(残りの5日)を身につけて人々の前に現れるのは、営業中かどうかをわかりやすくするためでした。

さて、その当時の高級娼婦の一生は、どのようなものだったのでしょう。

小説のマルグリット・ゴティエオペラのヴィオレッタのモデルと言われている、実在の女性「マリー・デュプレシ」の生涯を知ることで、当時の貧しい女性たち、高級娼婦の姿が見えてきました。

実在の人物マリー・デュプレシ
小説(椿姫)
「椿を持つ女」La Dame aux camélias
アレクサンドル・デュマ・フェスマルグリット・ゴティエ
オペラ(椿姫)
「道を踏み外した女」La traviata
ヴェルディヴィオレッタ・ヴァレリー
目次

ノルマンディー出身の貧しい少女

1824年1月15日に、フランスのノルマンディー(イギリス海峡に面したフランス北部の地域)で、貧しい夫婦の子として生まれます。貧困の中で育ち苦労します。

グリゼットになる

15歳になった彼女はパリで、洗濯屋、洋服屋などで働くうちに「グリゼット」になります。

グリゼット…表向きはお針子、裏で学生や一般人を相手に売春

プッチーニのオペラ、ボエームのミミもグリゼットでした。グリゼットをしていると、似たような境遇の女性たちの中から「美貌」に目をつけられて、貴族の男性から社交術を教えてもらう者が出てきます。そのようは女性は、マナーを教えられ、高級娼婦に昇格していきます。

マリーもそうでした。彼女のパトロンは貴族に見劣りしない社交術を教えてくれました。社交術と言っても、文字の読み書きや食事のマナーといったものです。またこの時期、彼女は本名の「アルフォンシーヌ・プレシ」から「マリー・デュプレシ」に改名しています。

クルティザンヌ(高級娼婦)の世界に入る

マリーは日中は気ままに過ごし、夜に劇場に出かけます。当時の劇場は、出会いの場、不倫や密会の場、売春の手はずを整える場でした。

彼女が劇場に行くのは、営業のためという面があります。「白い椿」(月のうち25日)と「赤い椿」(残りの5日)を身につけて人々の前に現れるのは、営業中かどうかをわかりやすくするためでした。

デュマ、リスト、夫ペレゴー伯爵

マリーとかかわりの深かった3人の男性です。

デュマ

以前から彼女に興味を持っていたデュマは、マリーと恋仲になります。ですが、幸せな日々は続かず、破局。

リスト

リストとマリーの関係は有名です。マリーと出会った頃のリストは、アイドル的な人気で世間を風靡した後であり、マリー・ダグー伯爵夫人と10年間の同棲生活の末に別れたばかりでした。夫人との間に3人の子供が生まれており、その中のひとりは、ワーグナーと結婚するコジマです。

ペレゴー伯爵

ペレゴー伯爵とマリーは、フランスではなくロンドンで婚姻届を出します。幸せな生活は続かず、ふたりは別居生活になりました。

マリーの死

このころから、マリーは結核に苦しみます。病を忘れるように、これまで以上に散財して遊び尽くします。肺結核がさらに悪化。23歳という短い生涯を終えました。葬儀は、多くの人々が参列しました。マリーは、モンマルトル墓地に埋葬されています。

モンマルトル墓地は観光名所としても有名で、スタンダールやドガ、ニジンスキーなど多くの著名人が眠っています。その中には、デュマがいます。デュマはマリーの近くで埋葬されることを選びました。

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