シモン・ボッカネグラ【平民よ、貴族よ】歌詞と対訳|Plebe! Patrizi!

シモン・ボッカネグラ 平民よ、貴族よ

シモン・ボッカネグラ 第1幕

シモン・ボッカネグラは、シモンの人生を見ることができますが、また一方で「平民と貴族の対立」も描かれています。

第1幕で平民と貴族が言い争いになったとき、シモンは「平民よ、貴族よ」と語りかけます。

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「平民よ、貴族よ」Plebe! Patrizi!【歌詞と対訳】

Plebe! Patrizi! Popolo
dalla feroce storia!
Erede sol dell’odio
dei Spinola e dei D’Oria,
mentre v’invita estatico
il regno ampio dei mari,
voi nei fraterni lari
vi lacerate il cuor.

Piango su voi, sul placido
raggio del vostro clivo
là dove invan germoglia
il ramo dell’ulivo.

Piango sulla mendace
festa dei vostri fior,
e vo gridando: pace!
e vo gridando: amor!

シモン

平民よ!貴族よ!民よ
熾烈な歴史から出てきた(民よ)!
憎しみだけを継ぐ相続者よ
スピノーラ家ドーリア家
君たちを深く招いているのに
広大な海の王国が
君たちは同郷の地で
心を引き裂き合うのか

君たちのために私は泣こう。穏やかな
君たちの丘の上の(穏やかな)光のもとで
無駄に芽吹いているのだ
オリーブの木の枝は

私は泣こう。偽りの
君たちの(偽りの)花の宴のために
そして私は叫び続ける、平和を!
そして叫び続ける、愛を!

【解説】オペラに出てくる、教皇派と皇帝派(カノッサの屈辱)

当時、イタリアの全土が「ギエフ(教皇派)」と「ギベリン(皇帝派)」に分かれて対立していました。発端は、イタリアではなく、ドイツからです。

11世紀、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世のは、叙任権を巡り争います。(叙任権闘争)

ローマ教会の聖職者を「誰がどの役職を決めることができるか」で、争ったのです。ハインリヒ4世が指名権を持っていたことで、皇帝に都合のよい人物が教会の重職につき、腐敗していました。

  • 皇帝側・・・教会の荘園で金稼ぎ
  • 教皇側・・・私利私欲のために利用されたくない

皇帝が教皇を免職 → 教皇が皇帝を破門 → 皇帝が3日間謝罪(カノッサの屈辱) → 教皇が皇帝の破門を解く → 皇帝が武力蜂起 → 教皇が追い払われて死亡(腕を切り落とされた) → 皇帝も新教皇と対立し、死亡

12世紀から13世紀になっても、この争いが続き、14世紀(シモン・ボッカネグラの時代)に入ると、教皇派と皇帝派の対立が、政治的な争いの火種となっていきました。

ジェノヴァでは、フィエスキ家、グリマルディ家、スピノーラ家、ドーリア家と、4つの貴族がふたつに分かれて対立。

歌詞の中で、シモンは下のように言っています。

シモン

スピノーラ家ドーリア家
憎しみだけを継ぐ相続者よ

貴族同士の対立

ゲルフ・教皇派
(グリマルディ家・フィエスキ家)

ギベリン・皇帝派
(スピノーラ家・ドーリア家)

オペラの中で、フィエスコはシモンと娘マリアとの結婚を許しませんでしたが、もともと政治的な対立があってのことでした。

フィエスコ

フィエスコ(フィエスキ家)は、25年後に「アンドレーア・グリマルディ」と偽名を使い、グリマルディ家に匿われています。

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